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クラウドは大きなバイクを持っている。フェンリルという名前があるらしい。
初めて見たときは、そのあまりの大きさに驚いた。値段を聞くと「聞かないほうがいい」とだけ答えられたので、おそらく相当な価格がしたのだと思う。あまり物を所有したがらないクラウドが、珍しく自分で買って大切にしているもの。
「……」
特にすることのない、二人揃っての休日。開かれているのは、いや、勝手に開いているのは、天望荘の裏の駐輪場でフェンリルの整備をする、クラウドの観察会。
天望荘に住んでいる人で、車やバイクを持っている人は他にいないから、余計に目立つクラウドのバイク。盗られたら大変だねと素直に言ってみると、クラウドは「盗られたときのための小細工はしてある」となぜか自信ありげに言った。よくよく聞くと、どうやらGPSを仕掛けているらしい。
そう、数少ないクラウドの趣味の一つが多分、フェンリルいじりだった。
お休みの日、朝起きたときどこにもいないなあと思って探せば、クラウドはたいてい外に出てバイクと遊んでいる。それを発見した時私はいつも、邪魔をしたくないから声をかけずに黙って見守ることが多い。
彼は優しいから「邪魔をするな」なんて言わないのはわかっているし、声をかけても笑顔を見せてくれるのも知っているけれど……なかなか見られない、何かに夢中になっている横顔を、贅沢な光景としてただ静かに見つめていたいという気持ちがあった。
「ティファ」
ふと名前を呼ばれたのは、そんな「少年」クラウドの背中を、駐輪場の近くにある花壇に腰掛け見守っていたときだった。今日は外が暖かいからと、あたたかいお茶の入った水筒を二つ用意して、私はクラウドと一緒に屋外に出ていた。
「? なあに」
首を傾げることで返事をして見せる。すると、汚れた手で拭ってしまったのだろう、いつの間にか頬に汚れをつけたクラウドが私の足元にある道具箱を指差した。
「すまない。その中から、赤い持ち手のレンチをとってくれないか」
「赤……これかな?」
「…うん。それだ、助かる」
沢山ある工具の中から、赤色のものを選んで取り出す。腰を持ち上げクラウドに近いて渡すと、クラウドはありがとうとだけ呟きすぐに作業を再開させた。
「……」
せっかく近くに来たのだからと彼の隣にしゃがみ込み、じいと見つめる凛々しい横顔。夢中になっているせいか、私に見つめられていることに気づいていないらしいクラウドは、真剣な様子で手元を器用に動かしている。
(…はあ)
思わず漏れる音のないため息。退屈だなあとか、構ってほしいなあとか、そういう意味ではない。自分でも情けなく思うけれど、純粋にただ、格好いいなあという惚気からきているもの。
クラウドをはじめてかっこいいと思ったのは、一体いつだっただろうか。おそらく、生まれたときからそばにいた隣家の幼馴染。
人と群れることが嫌いなのか、クラウドは基本的に一人で行動をしていた。それも幼稚園の頃から。誰かと一緒に遊んでいるのをろくに見たことがないし、なおかつ喧嘩早いことで有名だったから、彼に絡みに行くのはたいてい地元でいばっている大将のような男の子たちだけだった。
だけどそんなクラウドの姿は、女の子たちにはかっこいい人として映っていた。
一匹狼。クールでしかも顔が綺麗。無口だけど誰かを意図的に傷つけるようなことはしないし、悪い男の子たちからの嫌がらせにも冷静に対応する姿は、いつしかみんなの憧れになっていたように思う。
私もそのうちの一人だったと言っても、恥ずかしながら嘘にはならない。話をしたことなんてほとんどなかったけれど、たまに目が合ったり、真剣に運動したりしている姿なんかを目にすると、胸がどきどきするのは致し方ないことだった。
だから私にとってもクラウドは、雲の上の存在だった。話すことは許されない、知ってもらうことだって叶わない、王子様か神様か、手の届くことのない別の世界の人。
だけど、14歳、夏の夜。何の前触れもなくクラウドが誘ってくれた花火大会の日。
こんな田舎はさっさと出て、一人の男として自立したいのだとクラウドが私に告げたとき……背伸びした言葉と裏腹に、はじめて年相応の少年のように見えたクラウドのことを、身近に感じた夜。
(……そう)
あの日……私はたぶん、クラウドのことを好きになった。この人のことをもっと知りたいと、胸の中が熱くなるほどに。
「…よし」
満足げにクラウドが息をついたのは、観察会をはじめて30分も経たない頃だろうか。ふと見た横顔には、さらに追加で汚れがついている。
それを微笑ましく思いながら、取り出すのは白いハンカチ。そのまま頬を拭いてあげると、クラウドは驚いた様子で私の方を見た。
「ティファ、」
「あ、だめ動かないで。取れないよ」
「……」
「………うん、よし。取れたとれた」
「すまない、ハンカチが……」
「いいの、汚れを取るためにあるんだから」
「……ありがとう」
もっともな理由を告げると、クラウドは困った顔をする。子犬みたいなその人に笑いかければ、観念したように微笑み返してくれた。
「……」
ふと、視界に入ったクラウドの手。彼の顔をあっという間にススだらけにしたその手は、予想以上に汚れている。
それが、公園から泥だらけで遊んで帰ってきた子どものように見えて、胸の中に愛しさが広がるのを抑えられない。
この人は百通りの魅力を持っている。きっと私はまだ、その半分も見つけられていない。
「…ふふ」
「?」
「ううん、クラウドあちこち汚れだらけだなと思って」
「あ……。…いつもこうなる」
「夢中になっちゃうもんね」
「…うん」
「…やっぱり楽しい?」
「…楽しい」
クラウドに、楽しいという感情がちゃんとあることから感動してしまう。決して彼をサイボーグか何かだと思っているわけではないけれど、喜怒哀楽の表現が上手な人ではないから、こうして言葉にしてもらうだけで嬉しくなる。
私は一体あと何度、この人に驚かされたり、ときめかされたりするんだろう。途方も無い未来はいつも、優しく温かい。
「…ティファ」
「ん?」
「退屈させたな」
「してないよ、楽しく観察してたから」
「観察?」
「…楽しそうなクラウドを見守る会」
「……それは、いかにも楽しくなさそうな会だ」
「ふふふ」
「…付き合ってくれてありがとう。部屋戻るか」
「うん、戻ろう」
ほとんど同じタイミングで立ち上がる。うんと背伸びしながら息をすれば、晴れたお昼間の気持ちのいい空気が体の中に入ってきた。
そうやって美味しい空気を味わう私を横目に、クラウドはあっと言う間に後片付けをする。さっきの赤いレンチは、もとあった道具箱の中に戻っていく。
振り返って見る、クラウドの相棒。かなりの頻度で使われているはずなのに、傷ひとつないピカピカのフェンリル。
これからクラウドをどこに運んでいくんだろう。これから私たちを……どこに連れていってくれるんだろう。
「……」
「…ティファ? 戻らないのか」
「あ、ごめん。……フェンリルに見惚れてました」
「…ティファに見惚れられて、そいつも喜んでる」
「あはは、迷惑がられてなかったらいいけど」
「まさか。有頂天だ」
「…クラウドも、嬉しい? 見惚れられたら」
「嬉しい。でも、ティファが見とれる頃には俺がとっくに見惚れてる」
「そうかなあ。私結構、見惚れてるつもりだけど」
「いや、俺の比じゃないな」
「ふふ、威張るとこ?」
服も汚れだらけのクラウドの腕に、遠慮なく自分の腕を絡める。クラウドはそれを振り払うことなく、大切にしてくれる。
「…次はどこに行きたい?」
「フェンリルで?」
「ああ」
「そうだなあ……星を見に行ったりとか」
「…いいな」
「冬は空気が澄んでるから、きっとよく見えるよ」
「…故郷あたりにいくか?」
「……いいの?」
「…何が?」
「クラウド、嫌がってるのかと思ってた」
「…ティファと一緒になれたから、別にもうこだわりはない」
「どういうこと?」
「…目的はもう果たしたから」
「…目的?」
「ティファは知らないままでいいよ」
「ええ、ずるい。ここまできたら教えてほしい」
「…だめだ。知ったら笑う」
「笑わないったら」
心底嬉しそうな顔をしながら、クラウドは私への秘密を貫いて、部屋へ戻る階段をいっしょにあがっていく。クラウドが大事にしてくれる優しい内緒事は、言葉にならなくても私にあたたかい気持ちを運んでくれる。
昼下がり、おやすみ、なんでもない日。たくましい肩にそっと頭を預けてから、私は心の底からため息をついた。
この人を運んできてくれたすべてに、この人のもとに私を運んでくれたすべてに、幸せをもって感謝しながら。