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天望荘にやってきてから半年も経たないうちに、ティファは俺の部屋へと引っ越した。
大家にはああだこうだと言われたが、なんだかんだティファに甘く、俺のいないところで同居祝いをしてくれたのだと、後からティファに聞いた。
人生はじめての、母さん以外との二人暮らしは、経験のないことばかりが起こった。暮らす空間が一室で同じだから、全てのことが二人のためのものになった。
初めて花を飾るようになった。俺が買ってきてティファが世話をする役割分担もできた。もともと物がなかった部屋に、ティファの部屋から持ってきた家具が増えた。テレビやソファー、加湿器にラグ。最初ティファは「こんなに家具を入れて申し訳ない」と遠慮していたけれど、一気に人が生活する部屋になったと嬉しい本音を漏らせば、ティファは笑ってくれた。
二人分になった食器。二人分になった靴。そして、二人分になった洗濯物。
洗濯は、今まで何も気に留めていなかった生活習慣の一つだが、ティファの衣服を洗うようになってから重要性は増した。というのも、ティファの持っている服は、適当に洗濯機に突っ込んでいいものばかりではない。初めて服の裏についている洗い方を指定するマークを読むようになった。ティファは「適当でいい」というが、そういうわけにはいかない。少しでも、ティファにためになるようなことがしたかった。一秒でも長く、ティファが笑顔でいるためのことをしていたかった。
中でも気を使うようになったのは、ティファの下着を干すときだった。いまだにティファは恥ずかしがるし、俺も何となく居た堪れない気持ちにはなるが、暮らし始めた頃と比べれば随分慣れてきた日常の一つ。
ぞんざいに扱っていた自分の洗濯物とは違い、ティファの洗濯物の扱いは干すときにも気をつけなければならない。残念ながらこの部屋は2階で、高層階というには無理があり、なけなしのオートロックはあるもののセキュリティーの意味でも十分とは言えない。
だから、ティファの下着だけはいつも室内に干す。ワンルームの部屋の中、ティファが買ってきた専用の、小さな洗濯バサミがぶら下がる物干しに。
「……ごめんね? やっぱり、いつまで経っても恥ずかしいね」
ティファが小声でそう言ったのは、俺がいつものように、何の気なしに丁寧に下着をかけていたときだった。昼食の準備をするため狭いキッチンに立つ、ティファの方を振り返る。何のことを言っているのか、だいたい見当はついていた。
「…やらせてもらえて、むしろ俺は嬉しいけど」
「もう、クラウド」
「違う、変な意味じゃなくて……許せてもらえていることが」
「……。…ほんとは、見てもらうのは夜だけにしたいんだけど」
おそらく無意識に飛び出したであろう、なかなかの爆弾発言に思わず硬直する。ティファは自分の発言の威力に気づかないまま、視線を手元のフライパンに戻した。
叶わないなと想いながら、ひとりつくため息。手元の洗濯物を全て干し終えたことを確認してから、いい匂いがし始めたキッチンの方へと足を向ける。立ち上がったときに見えた時計の針は、いつの間にか昼の1時を指していた。
「……いい匂いだ」
「へへ、お腹減った?」
「…うん」
「洗濯物干すの終わったんだね。ありがと、助かっちゃった」
「…これくらい朝飯前だ」
「ふふ、それをいうなら昼飯前、だね」
「…だな」
はにかみながら冗談を言うティファを、後ろからゆっくり抱きしめる。華奢な肩に顎をのせ、見える景色は幸せ以外の何ものでもない。柔らかく音を立てて焼けていく、フライパンの上のハンバーグ。それを器用にひっくり返すティファの手慣れた手つきを見つめながら、穏やかな時間に身を溶かす。
「もうちょっとだけ待ってね〜……」
この時間にいられるのならいくらでも待つ。口にすれば笑われるであろうことを考えていたとき、ふと食材や調理器具が広げられている狭い台所が目に入った。
(…いっぱいだ)
この部屋にティファと一緒に住むようになってから、幸せが増えたのは間違いないが、唯一申し訳ないと思うことが多いのがキッチンの狭さだった。
料理をしない俺にとっては全く問題のない広さだが、料理好きなティファにはこの広さは物足りないはずだった。一人暮らしのときは
事足りたかもしれないが、人間が増えたのだから、言わずもがな作る量も増している。ティファは文句を言わないけれど、狭いスペースで四苦八苦しているのを見れば、困っているのは一目瞭然だった。
(……)
「…ティファ」
「ん?」
「……引っ越したかったら、引っ越すからな」
「え、どうしたの? 急に」
「…なんとなく」
「やっぱり二人暮らし、窮屈かな?」
「……いや。部屋というより……台所が」
「台所?」
「…うん」
正直、部屋が窮屈であることには問題がなかった。ティファにいうと怒られるかもしれないが、狭ければ狭いほどその分近くにいられるという意味で、窮屈さには文句はない。
ティファは、俺が急に何を言い出したのかと思ったのだろう。不思議そうに首を傾げながら、改めて台所周りを見渡している。そのあと、何かに気づいたように声を上げるまで時間はかからなかった。
「あ。……もしかして、台所が狭いの気にしてくれてるの?」
「…料理、しづらいだろ。作る量も増えたから」
「ふふ、そうだね。倍以上になってるもんね」
「…ティファが狭いところで頑張っているのを見ると、申し訳なくてな」
「ありがと、気遣ってくれて。でも大丈夫だよ、なんとかなってるし」
「……我慢してないか?」
「うん、してない」
「…ティファがいいなら、いいんだが」
そうこうしているうちに、いつの間にか出来上がって行くハンバーグ。ティファはにこにこと微笑んだまま、丁寧に食器に置き分けた。
「よし、できあがり! クラウド、運ぶの手伝ってくれる?」
当たり前だと頷いて、ティファから二人分の皿を受け取る。ティファの皿の上のハンバーグはひとつ。俺には二つ。初めて作ってもらったときから今日まで、毎度「おかわり」をねだる俺のために、最近は最初から倍量作ってくれるようになった。
食欲をそそる香りに背中を押されながら、部屋の真ん中にあるテーブルの上へと料理を運ぶ。これもティファと暮らし始めてから買い替えた大きなもの。料理を目一杯広げられるように選んだ、ティファのための家具の一つ。
向かい合って座れるように皿を配置すると、ティファは上機嫌なまま次いで二人分のナイフとフォークを置いてくれた。
「ふう、お腹減ったね」
「…料理ありがとう」
「いいえ。じゃあ、お待たせしました。いただきます」
「…いただきます」
ティファがナイフでハンバーグを切り分けているのをっ見つめながら、同じように手元にフォークを入れる。途端溢れ出す肉汁。仮に俺に料理ができたとしても、ここまでうまそうには作れないだろうと感動しながら、間髪入れずに口元に運ぶ。
口の中に一気に広がった肉の甘みは、旨いという範囲を超えて、心まで満たしてくれるようだった。
「……どう? おいしい?」
「…うまい」
「よかった」
「…この、何とかソースも作ったのか?」
「デミグラスソース? うん。思ったより簡単そうだったから」
「……。ティファは魔法使いだ」
「もう、褒めすぎだよ」
「褒め足りない」
喜んで欲しくて、ティファを尊敬していることを伝えたくて、不器用ながら言葉を選んで渡して行く。ティファはすぐに謙遜してしまうが、それでも面と向かって褒めれば照れて笑ってくれるようになった。この表情を独占できることは、一緒に住んでいることの大きな利点かもしれない。
油断をすれば食事も忘れて見入ってしまう大切な人。ずっと見つめていたい。もっとそばにいたい。心の中ではいつだって、自分が駄々をこねて暴れ回っている。
再び出会ったあの日から……いや、出会う前から、ずっと。
「……ねえ、クラウド」
「ん?」
ティファが何か言いたそうに、もじもじとしはじめたのは、俺が夢中で料理をほおばっているときだった。
「…さっきの話だけど」
「……? ……引越しか?」
「そう。……あのね、確かに二人で暮らすには狭いんだけど……もう少し、ここにいてもいいかな」
「…もちろん。ティファがいたいと思うまで、ずっと」
「よかった。……ありがとう」
ほっとしたような表情を見せたティファ。口にハンバーグを運びながら、何か理由があるのかもしれないと考える。
俺にとってこの場所は、ティファと再会するためのきっかけの一つに過ぎなかった。ティファと一緒に過ごせるようになった以上、特別場所へのこだわりはないから、むしろもっと金を貯めていい場所に引っ越してやりたいとさえ思っていた。
「……大事にしたいんだ、ここ」
「……」
だけど、ティファがそれを望まないのなら急ぐ必要はない。時間はある。一緒にいられる時間も、これからを考えるための時間も。
「……ごちそうさま」
「あ、うん! ごちそうさまでした。美味しかったね」
「うん」
「あ、いいよお皿……」
「いや、いい。これくらいさせてくれ」
「…ありがとう」
一人で暮らしていた頃よりも手慣れてきた気がする皿洗い。料理の現場で唯一俺が胸を張って手伝えるひとつ。これでも役に立てているとは正直思えないが、それでも、かじかむような水の冷たさから少しの間でもティファを守れているというのなら、全うしない手はない。
「…ふふ、慣れてきたね」
「…師匠がいいからな」
「あはは、褒めても何もでないよ」
「ティファが笑うだけ言った価値がある」
「クラウドの隣では、ずっと笑ってるつもりなんだけどなあ」
「…見逃してたかな」
「ふふ……」
流しっぱなしの水の音をBGMに、隣に来てくれたティファとキスをかわす。何度味わっても味わいきれないティファを、記憶の中に刻みつける。
このあと買い物に行こう。当たり前のように誘ってくれる笑顔のティファを見つめながら、心の底から思った。
どうかこれを夢と言うなと。
他にはもう、何もいらないから。